エコール・デ・ルーヴル(ルーブル美術学院)教授/美術評論家 エリック・モンサンジョン
髙橋文子氏の作品は大自然への求愛である。「福浦朝景」では、緑豊かで広大な海岸線―水と大地が触れ合う入り江―の雰囲気を捉えるべく、作者が格別な気遣いを注いでいるのが窺える。ゆっくりと開かれる扇のように、朝日は景色に多様な彩りを与えていく。言うまでもなく、作者は自然を愛し、その愛する自然を毎日つぶさに眺めているのである。眺められる「風景」はおのずから「情景」へと変化してゆく。髙橋氏の手にかかると、動物は単なる被写体ではなく、例えば「愛らしい忠犬」や「声高く鳴く雄鶏」といった個性を持った生き物となる。
その他の作品に見られる水面下の世界にも着目したい。「ピッシンヌ・ナチュレル」のような、水中と地上という二つの世界が並行して描かれた驚くべき光景は髙橋氏独自の視点によって生み出されるイリュージョンだ。そして一連の海洋生物たちが奏でるハーモニー。一つひとつの生物―リーフィーシードラゴン、マンタ、クラゲやハンマーヘッド・シャーク―を個々に絵画という枠の中に表現することで、彼女は海底世界の素晴らしさを讃えているのである。また髙橋氏は、自然からの恩恵を還元するように、そして自然をより良いものにするために、様々な天然素材を用いて創作にあたっている。麻の紙や金箔・銀箔、日本の天然顔料などの素材は、巧みに操られ、組み合わされ、物質的でありながら精神性にも富んだ美しい一つの絵となる。
季節・光・一刻の時など、移りゆく風景を独自の観点で再現する髙橋氏の絵画は純粋な感覚的体験であり、深い感動や束の間の気持ち、または密かな思いなど、作品に潜む様々な情緒は人々を深い瞑想へといざなう。描かれた風景や人、その他動物や植物は、彼女の内面における自然の刹那を浮き彫りにし、自然を浄化させ、物事の本質を見抜く。これら髙橋氏の力強い芸術作品は、一流の絵画であると同時に視覚化された優美な俳句を連想させる華麗な詩とも言えるだろう。
エコール・デ・ルーヴル(ルーブル美術学院)教授/美術評論家
エリック・モンサンジョン
髙橋文子氏の作品は大自然への求愛である。「福浦朝景」では、緑豊かで広大な海岸線―水と大地が触れ合う入り江―の雰囲気を捉えるべく、作者が格別な気遣いを注いでいるのが窺える。ゆっくりと開かれる扇のように、朝日は景色に多様な彩りを与えていく。言うまでもなく、作者は自然を愛し、その愛する自然を毎日つぶさに眺めているのである。眺められる「風景」はおのずから「情景」へと変化してゆく。髙橋氏の手にかかると、動物は単なる被写体ではなく、例えば「愛らしい忠犬」や「声高く鳴く雄鶏」といった個性を持った生き物となる。
その他の作品に見られる水面下の世界にも着目したい。「ピッシンヌ・ナチュレル」のような、水中と地上という二つの世界が並行して描かれた驚くべき光景は髙橋氏独自の視点によって生み出されるイリュージョンだ。そして一連の海洋生物たちが奏でるハーモニー。一つひとつの生物―リーフィーシードラゴン、マンタ、クラゲやハンマーヘッド・シャーク―を個々に絵画という枠の中に表現することで、彼女は海底世界の素晴らしさを讃えているのである。また髙橋氏は、自然からの恩恵を還元するように、そして自然をより良いものにするために、様々な天然素材を用いて創作にあたっている。麻の紙や金箔・銀箔、日本の天然顔料などの素材は、巧みに操られ、組み合わされ、物質的でありながら精神性にも富んだ美しい一つの絵となる。
季節・光・一刻の時など、移りゆく風景を独自の観点で再現する髙橋氏の絵画は純粋な感覚的体験であり、深い感動や束の間の気持ち、または密かな思いなど、作品に潜む様々な情緒は人々を深い瞑想へといざなう。描かれた風景や人、その他動物や植物は、彼女の内面における自然の刹那を浮き彫りにし、自然を浄化させ、物事の本質を見抜く。これら髙橋氏の力強い芸術作品は、一流の絵画であると同時に視覚化された優美な俳句を連想させる華麗な詩とも言えるだろう。